明治期から、大正期、戦前までの国道は、軍事国家としての拡張路線によって、整備があ図られて、発展してきました。
広く国民生活の利便性を目的にした、道路整備が始まったのは戦後のことです。
しかし、戦前の日本においても、ドイツのアウトバーンの影響を受けて、内務省は全国的な自動車道路網、いわゆる「弾丸道路」の整備計画策定を開始しています。
アウトバーンとは「自動車専用路」のことで、高速道路のことです。
1943年には東京神戸間の自動車国道建設のための測量、設計などが実施されました。しかし、戦時下を理由として、翌1944年には中止となってしまいました。
終戦後、焦土となっていた日本に進駐した連合国軍最高司令官総司令部は、日本政府に対して、軍事的に重要な道路路線を整備することを要求しました。
連合国軍総司令部は1948年には、「道路及び街路網の維持修繕五箇年計画」の覚書を出しました。これにより、日本政府は道路の維持修繕の五箇年計画を作成し、連合国軍の援助を受けながら、荒廃した本土の復興事業として、道路の路面補修や橋梁修繕などを行いました。
財政的な制約や、講和条約に伴い1951年に覚書が失効されたことにより、この計画は完全には実施さませんでした。
しかしながら、それは戦後の復興に大きな役割を果たす、その後の日本の道路整備事業に大きな影響を与えました。
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